瞳の中にあるものは

薄暗いアパートの一室。壁は黄色く剥がれかけ、冷たい空気が漂っている。女の名は美咲。彼女は一人、夜を待っている。窓の外から漏れる月明かりが、彼女の顔をほんのりと照らし出す。彼女の目は大きく見開かれ、まるで何かを欲しがっているかのように見えた。

「そろそろ時間だわ…」
美咲は小さく呟く。
そう呟いた瞬間、心臓が鼓動を止めたかのように感じた。男が来るのだ。彼の名は拓也。彼女の愛する人。しかし、彼の愛はただの妄執に過ぎないことを、美咲は薄々感じていた。

彼は美咲のことを何度も求めた。だが、彼女にはその愛が重荷でしかなかった。拓也の求める愛は、彼女の心を締め付ける、まるで麻薬のようだった。美咲はそのことを理解していたが、彼の瞳を見つめていると、ついその闇に引き込まれてしまうのだ。

「どうして私をこんなに欲しがるの…」
美咲は自問自答した。彼女の心の奥底には、拓也に対する不安と恐れが渦巻いている。愛していたはずなのに。確かに愛されていたはずなのに。どうして、何故、と終わらない疑問がグルグルと自分の中で渦巻いている。脳裏に描いた彼の瞳は、まるで彼女の存在の全てを奪うかのように暗い空間を飲み込んでいく。
ただいつもの彼を思い出しただけなのに。

その夜、拓也が現れた。彼はいつものように無邪気な笑顔を浮かべていた。しかしその笑顔の裏には、彼女を所有したいという狂気が潜んでいる。美咲はそのことを感じ取っていたが、言葉にはできなかった。

「美咲、会いたかったよ」
と拓也が言う。その言葉は甘い蜜のように美咲の耳に響くが、同時に楔のように彼女の心を縛っていく。彼女はその言葉に応えることができず、ただ黙って彼の目を見つめ返す。

「どうしたの、黙ったままで…」
拓也の声が少し不安そうに響く。そう言われても彼女は動けない。彼の存在が、その瞳が彼女の心の中に潜む恐怖を増幅させている。だって目が逸らせないのだ。怖いと思うのに。

その時、美咲は気づいた。拓也の目はただ自分を求めるものではなく、彼女の心を奪うためのものなのでは?と。彼女の心の奥にあるこの恐怖を知っていて、それを利用しようとしている。彼女はそのことに気づき、抗うことにした。

「もう、やめて…」
美咲は声を振り絞った。小さく、ともすれば聞き逃してしまうほどの声でしかなかったが。それでも自分を大きく奮い立たせる声だったのだ。ほんの一瞬だったが、緊張に満ちている。拓也は驚いたように目を大きく見開く。
「何を言ってるんだ、美咲。僕は君を愛しているだけだよ。」

「愛しているだけ…?」
彼女の心には疑問が浮かぶ。
果たしてそれは愛なのか?
美咲はその問いに対する答えを見つけられず、ただ彼を見つめ返す。

拓也の笑顔が徐々に消え、代わりにその瞳に闇が広がっていく。
「…君は僕のものだ、美咲。どんなことがあっても、僕が君を守る。だから、逃げないで。」

その言葉が、まるで彼女の心に鋭い釘を打ち込むように響く。美咲は恐怖で身体が震える。どうして。彼の愛は彼女を閉じ込める檻のようで、決して自由を与えてはくれない。彼女はそのことを理解し、心の底から恐れを抱く。

「お願い、拓也。もうやめて…」
彼女の声はか細く、まるで消え入りそうだ。しかしその声は拓也には届かない。いや聞こえてはいるのだろう。ただ聞こえないふりを、知らないふりをしているのだ。深い深い闇を湛えたその瞳が、すでに彼女の心を飲み込む準備を整えている。

拓也が近づいてくるのを感じる。
拓也の瞳の中に潜む闇。

どうして。
どうしてどうしてどうして。
愛し合っていた、それだけだったはずなのに。